情報発信で自分を救う方法|過去の自分と向き合えた40代のリアルな体験談

40代になった今、僕はnoteやX(旧Twitter)を使って、自分の体験や気づきを発信するようになりました。
目的は、誰かの役に立てればいいと思ったから。
でも書き続けるうちに、ある重大なことに気づいたんです。

「僕は、誰かを救いたかったんじゃない。自分自身を救いたかったんだ」と。

このブログでは、うつ病や自己否定で人生が止まっていた30代の頃の僕が、なぜ情報発信という行為で立ち直ることができたのか――
その過程を、リアルな体験を交えてお話しします。

同じように「何者でもない自分」に悩んでいる人や、過去に向き合うのが怖い人。
そんな方にこそ読んでほしい、書くことが人生を変えた実話です。

第1章|「学びが定着しない」悩みを変えたのは、noteでの情報発信だった

「本を読んでもすぐに忘れてしまう」
そんな悩みを抱えていたのは、きっと僕だけではないはずです。
どれだけ感動した内容でも、時間が経つと記憶は薄れていく。
せっかく学んでも、行動に活かせなければ意味がない――僕もずっとそう感じていました。

そんな中、あるきっかけで始めたのが「noteでの情報発信」でした。
学んだ内容を人に伝えるつもりで書くことで、自然と“記憶に残る学び”に変わっていったのです。

たとえば、本を読むときの視点が変わりました。
「これはどんな人に伝えたら役立つか?」
「自分の体験と組み合わせたら、もっと響くんじゃないか?」
そう考えながら読むようになると、理解も深まり、記憶への定着率が格段に上がりました。

この気づきは、僕の兄のある習慣によって裏付けられました。

兄は高校時代、弁護士を目指して猛烈に勉強していました。
食事の時間になると、その日に学んだ日本史や世界史の内容を家族に話すのが日課でした。
僕には難しすぎて理解できない内容も多かったのですが、彼は毎日話しながら楽しそうに復習していたんです。

その年のセンター試験、兄はなんと満点。
振り返ってみれば、彼は無意識に「インプットした知識をアウトプットする習慣」を取り入れていたのだと思います。

これは、僕にとって大きな学びでした。

情報は、誰かに伝えるつもりでアウトプットしたときに、初めて“自分のもの”になる。

noteでの情報発信は、僕にとって学びの効率を高めるツールであり、
結果的に、過去の自分を少しずつ成長させるための“自分へのメッセージ”になっていったのです。

第2章|うつ病で止まっていた僕の人生。救ったのは「過去の自分に向けた言葉」だった

情報発信を続けていく中で、僕はある本質的な問いにぶつかりました。
それは、「自分は誰に向けて記事を書いているのか?」ということ。

読者のため、誰かの役に立つため――もちろんそれも本心です。
でも、何度も書いていくうちに気づいたんです。
僕が本当に言葉を届けたい相手は、過去の自分自身だったと。

特に30代の頃、僕はうつ病で人生が完全に止まっていました。
心療内科でもらった薬を飲んでも、気分は晴れない。
働く意味も見いだせず、未来なんて一切見えていなかった。
絶望の中で、何度「このまま人生終わっていけばいいのに」と思ったことか分かりません。

あの頃の僕には、何も届かなかった。
人の言葉も、本の内容も、まるで耳に入ってこない。
ただ暗闇の中で、静かに壊れていくような日々を過ごしていました。

だからこそ今、noteで情報発信を続けているのは、

「過去の自分に、あのとき本当に聞きたかった言葉を届けたい」
という想いからなんです。

そしてもう一つ、僕にできることがあるとすれば、
同じように苦しんでいる誰かが、僕の過去のような状態にならないように伝えていくこと。

そのためには、自分の過去にちゃんと向き合う必要がありました。
逃げたくなるような記憶も、恥ずかしい選択も、なかったことにせず言葉にする。
それが、情報発信という行為に込める僕なりの覚悟です。

検索で見つかる“正しい情報”ではなく、

「生身の人間が、実際に体験して、そこから学んだこと」
それを伝えることにこそ意味があると思っています。

第3章|自己肯定感がボロボロだった僕にとって「発信すること」が希望になった

「自分には価値がない」
「こんな失敗だらけの人生なんて、誰の役にも立たない」
そんなふうに、自分を否定しながら生きてきた時期が、僕には長くありました。

ネットには知識があふれています。
専門家の意見、有名人の発信、ビジネス書に書かれた成功法則――
そんな中で、自分のような「何者でもない人間」が発信していいのか?
僕はずっとそう思っていました。

でも、発信を続けるうちに気づいたことがあります。

“誰でもない”僕だからこそ伝えられる言葉があるということ。

華やかな成功ではない、泥臭くて情けない日々。
失敗して、逃げて、何も得られなかったように見えるあの時間こそが、
いま誰かのためになる「リアルな経験」になっているんです。

過去を正当化するためではありません。
でも、あの頃の自分に寄り添うように言葉を書いていく中で、

「こんな自分でも、誰かのヒントになれるかもしれない」
と、少しずつ自己否定が自己受容に変わっていきました。

情報発信とは、見栄を張ることではなく、
「自分の過去に正直になること」であり、
「恥ずかしい部分も含めて“自分を肯定していく作業”なのだと、今では思っています。

うまくいかなかった日々も、逃げた経験も、
書いて言葉にすることで、誰かを救う価値のある記録へと変わっていく。

noteやブログでの発信は、
僕にとって「自己肯定感を取り戻すための習慣」そのものでした。

第4章|自分と向き合う勇気は「書くこと」で少しずつ育っていった

人生を振り返るとき、苦しかった記憶や後悔は、なるべく思い出したくないものです。
僕自身もそうでした。
うまくいかなかった恋愛、逃げ出した仕事、うつ病で何もできなかった日々――
できることなら、なかったことにしてしまいたかった。

でも、noteで記事を書くようになってから、そんな過去に少しずつ目を向けるようになりました。
それはまるで、自分自身に問いかけるような作業だったんです。

「なぜ、あのとき立ち止まってしまったのか?」
「本当は、何に怯えていたのか?」
「何を守るために、自分を偽っていたのか?」

文章を書く中で、僕は自分の感情や思考を整理する習慣を持つようになりました。
これまで見て見ぬふりをしていた自分の弱さや、本音にも気づけるようになったんです。

そして、過去の自分に対しても、少しずつ言えるようになりました。

「あのときはあれでよかった」
「よく生き延びてくれた」
「今の自分をつくってくれて、ありがとう」

これは、他人から褒められるのとは全く違う“じんわりとした安心感”です。
自分が自分に対して、許しと肯定の言葉をかけられるようになったことで、
ようやく僕は、「ちゃんと自分の人生を歩いている」と思えるようになったのです。

40代になってからの人生を整えるのに必要だったのは、
誰かの承認よりもまず、自分自身と話す時間だったのかもしれません。

【まとめ】情報発信は、自分の人生を整える“最初の一歩”になる

40代になった今、僕ははっきりと言えます。
noteやブログで情報発信を始めたことが、人生を立て直す大きな転機だったと。

はじめは「誰かの役に立てばいい」と思って書き始めた文章。
でも、それは結果的に自分を癒す時間になっていました。

過去の失敗、後悔、逃げたこと、うつ病の記憶。
それらをなかったことにせず、言葉にして人に届けようとする行為こそが、
自分自身と向き合う勇気を育ててくれた
のです。

情報発信というと、SNSでバズることや、収益化ばかりが注目されがちですが、
実はそれ以上に、「自分の人生を見つめ直し、肯定していくための習慣」でもあります。

書くことで、あなたは過去の自分と会話できるようになるかもしれません。
そして、それが誰かにとっての希望にもなっていく。
それが、情報発信という行為の本当の価値だと僕は信じています。

最後に、この記事を読んでくれたあなたに問いかけたい言葉があります。

「10年前のあなたに、今のあなたはどんな言葉をかけてあげたいですか?」

その答えが、あなたにとっての“発信すべき言葉”になるかもしれません。
そしてそれは、あなた自身を救う力にもなるはずです。

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