自分を責め続けていた僕が、後悔を“意味のある経験”に変えられた理由

過去の失敗や後悔を思い出して、「なんであんなことをしてしまったんだろう」と自分を責めたことはありませんか?

僕は、何度もありました。
夢に破れ、恋愛もうまくいかず、仕事でも何も残せず、
挙げ句の果てには、大切な人間関係までも自分の手で壊してしまった。
そんな自分を、ずっと嫌いで、ずっと責め続けてきました。

「なんであのとき、もっとちゃんとできなかったんだ」
「なんで、勇気を出せなかったんだ」
「どうして、そんな選択をしたんだ」——

振り返れば振り返るほど、情けなさと悔しさでいっぱいになります。
そして、過去の自分にがっかりして、未来に希望を持てなくなる。

この記事では、そんな僕がどうやって自分の過去と向き合い、
どうやって「後悔」を“意味のある経験”へと変えていったのかを、正直にお話しします。

もし今、あなたが過去の自分を責めて苦しんでいるなら、
この記事が少しでも心のヒントになれば嬉しいです。

僕が後悔してきた出来事と、その背景

振り返ると、僕の人生にはいくつもの後悔がありました。

たとえば、医者になりたかったという夢。
高校生の頃から目指していて、周りにもそう言っていました。家族に病気がちな人がいたことも理由のひとつでした。でも、努力が足りなかったんです。現実を見ずに、「なんとかなる」と思い込んでいました。

受験に失敗して、2年間浪人しました。
それでも結局、合格できたのは文系の三流大学。あれだけ時間をかけて、何も実らなかった。あの頃は、「自分はやればできる」と本気で思っていたけど、振り返ると、それはただの過信だったと思います。努力の仕方も、覚悟も、何もかも足りていなかった。

そして、恋愛の後悔もあります。
当時好きだった女の子がいて、ずっと気持ちを伝えられずにいました。シャイな性格で、あと一歩が踏み出せなかったんです。結局、彼女は何も言わず僕の前からいなくなってしまって、それから何年も引きずりました。

また、働くことへの執着も、ある意味で後悔のひとつです。
アルバイトを掛け持ちして、毎日働き詰めの時期がありました。「頑張ってる自分」に満足して、何も積み上げないまま時間だけが過ぎていった。スキルも経験も、自信すら残らなかった。今思えば、ただ目の前のことにしがみついていただけだったと思います。

どの後悔も、その時は「仕方がなかった」と自分に言い聞かせていました。でも、心の奥ではずっとモヤモヤしていて、時間が経つほどに「なんであんなことしたんだろう」と、自分を責める気持ちが強くなっていきました。

うつ病を経験し、「生きてるだけでいい」と思い込んだ時期

人生で一番しんどかった時期があります。
何もやる気が出なくて、朝起きるのもつらくて、ただ時間だけが流れていく毎日。そんな状態が続いて、僕はうつ病と診断されました。

それまでの僕は、「頑張るのが当たり前」だと思って生きてきました。夢も仕事も恋愛も、全部うまくいってなかったけど、それでも“何かしていないと不安”で、バイトや仕事を詰め込んで、自分を必死に保っていました。でも、心が限界を超えてしまったんです。

うつ病になってからは、仕事に行くのも難しくなって、社会から一歩引いたような感覚が続きました。
何もしていない自分に対して罪悪感があって、でも動けなくて、ただ「生きてるだけでいい」と自分に言い聞かせていました。

当時は、その言葉に救われていたのも事実です。
「もう頑張らなくていい」「無理しなくていい」
そう思うことで、少しだけ呼吸ができるようになった気がしました。

でも、ある程度回復して働けるようになってからも、「生きてるだけでいい」という考えに縛られていました。
そこに安心してしまって、前に進むことを自分で止めていたんです。

本当は、自分でもどこかで「このままじゃダメだ」と気づいていました。
でもまた心が壊れるのが怖くて、成長しようとする気持ちにブレーキをかけていたんだと思います。

「生きてるだけでいい」は、たしかに必要な考え方です。
でも、それをずっと握りしめたままでは、少しずつ自分を見失ってしまうこともある——
それに気づいたとき、僕はようやく「もう一度、自分を取り戻したい」と思えるようになりました。

人間関係を自ら壊してしまった過去と向き合う

僕が一番後悔しているのは、人間関係を自分の手で壊してしまったことです。
学生時代から仲の良かった友人がいて、長い時間を共にしてきました。くだらない話も真面目な話もできる、数少ない「本音を話せる存在」だったと思います。

ある時、僕は精神的にしんどい状況にいました。
仕事もプライベートもうまくいかず、漠然とした不安に押しつぶされそうで、「誰かに話を聞いてほしい」と思ったんです。

そんな時に連絡をしたのが、その友人でした。
「久しぶりに会いたい」と送ったメッセージに、彼は一度は「いいよ」と返してくれました。でも、そこから予定の連絡が来なくて、数日、そして1週間…ずっと返事がないままでした。

僕はその沈黙に勝手に傷つきました。
「やっぱり俺なんて、今の彼の人生に必要ないんだ」
「結婚して落ち着いてる彼と、うまくいってない僕とじゃ、もう住む世界が違うんだ」
そう思って、自分から連絡を断ち、関係を終わらせてしまいました。

今振り返ると、それは完全に僕の“寂しさ”が引き起こした行動でした。
本当は、ただ会って少し話がしたかっただけなのに、その気持ちを素直に伝えることができなかった。勝手に期待して、勝手に失望して、勝手に距離を置いてしまった。

きっと、彼には彼の都合や事情があったんだと思います。
忙しかったのかもしれないし、タイミングが合わなかったのかもしれない。
でもあのときの僕は、「自分をわかってくれない人はいらない」と思い込んでいたんです。

人間関係って、本当はもっと柔軟でいいはずなのに。
寂しさや不安に支配されたまま動くと、大切なものほど壊れてしまう。

この経験から僕が学んだのは、「自分の感情に正直になること」「勝手に決めつけないこと」の大切さでした。
もしあの時、もう少しだけ素直に「会いたい」と言えていたら、今でも変わらず友人でいられたのかもしれません。

「自分はバカだった」と認めたとき、少しだけ前に進めた

僕は、自分のことをどこかで「できる人間」だと思い込んでいました。
大きな夢を語り、誰かに頼らずに生きているつもりで、何かに失敗しても「本気を出していなかっただけ」だと、自分に言い聞かせてきました。

でも、そのすべてが「逃げ」だったんだと気づいたのは、ずいぶん時間が経ってからです。
努力の仕方を知らずに夢を語っていたこと。
本音を伝えるのが怖くて恋愛からも逃げていたこと。
何も積み上げられなかったことに気づかないふりをして、満足していた自分。
そして、人とのつながりを壊したのに、「仕方がない」と自分を正当化していたこと。

こうして書き出してみると、自分でも情けなくなるほど、僕は未熟だったと思います。

でも、「俺ってバカだったな」と思えるようになったとき、不思議と少しだけ楽になったんです。
それは“自分を責める”というより、“ちゃんと受け入れる”という感覚でした。

僕は失敗もしたし、間違いもたくさん犯した。
でも、それをなかったことにするんじゃなくて、ちゃんと認めて、「じゃあ、これからどうする?」と前を向くことが、ようやくできるようになった気がします。

人は、失敗しながらしか成長できないのかもしれません。
そして、変わろうとするのに、年齢もタイミングも関係ない。

今の僕は、昔の自分を「許せた」とまでは言えないけど、
「仕方なかったよな」と、少しだけ笑えるようになりました。
それだけでも、前に進めた証なのかなと思います。

まとめ|過去の後悔は消せない。でも、意味を変えることはできる

僕たちは過去をやり直すことはできません。
どれだけ後悔しても、あのときの選択や、あの瞬間に戻ることはできない。
だからこそ、「なんであんなことしたんだろう」と思い返しては、自分を責めてしまう。

僕もそうでした。
夢に破れ、恋を逃し、何も積み上げられず、人間関係も壊してしまった。
そのたびに自分を嫌いになり、後悔だけが心に残っていました。

でも今、少しずつ気づき始めています。
後悔を抱えているということは、それだけ本気だった証でもある。
うまくいかなかったのは、未熟だっただけかもしれないけれど、そこに向き合ってきた時間には、きっと意味があったんだと思います。

過去の出来事は変えられないけれど、
その受け止め方や“意味づけ”は、自分次第で変えられる。

だから今、自分を責めてしまっている人に伝えたいです。
「あなたはバカじゃない。ちゃんと悩んで、ちゃんと生きてるんです」と。

僕もまだ完全に過去を乗り越えたわけじゃありません。
でも、自分と向き合うことで、ほんの少しずつでも前に進めるんだと信じています。

あなたの後悔も、いつか誰かの希望になるかもしれません。
そう信じて、一緒に前に進んでいきましょう。

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