「みんなが言ってるから間違いない」
「テレビで特集されていたから、きっと正しい情報だ」
「親がそう言っていたから、信じるしかない」
あなたは、こんなふうに「他人の言葉」を疑いもなく信じていませんか?
私たちは日々、膨大な情報の中で生きています。
SNS、テレビ、ネットニュース、YouTube、家族や職場の人の言葉——
無意識のうちに「誰かの意見」や「世間の常識」に流され、自分の頭で考えることをやめてしまう場面が少なくありません。
でも、情報の中には「意図」があります。
すべての言葉があなたのために語られているとは限らないのです。
実際、私自身も長い間、「父の言葉」や「世間の空気」を鵜呑みにして生きてきました。
でもある時、人生がうまくいかなくなり、自分の考え方を見直すことになったのです。
そこで気づいたのは——
「信じていた言葉」ほど、危ういものはないということでした。
この記事では、「なぜ言葉を疑うことが大切なのか?」
そして、「どうやって自分で正しい判断ができるようになるのか?」について、
私自身の体験をもとにお伝えしていきます。
「情報に振り回されず、自分の軸を取り戻したい」
そんな方に、少しでも参考になる内容になれば嬉しいです。
第1章|「常識」や「正しさ」は、誰が決めたものなのか?
私たちが何気なく信じている「常識」や「正しいこと」は、一体誰が決めたものなのでしょうか?
たとえば、テレビ番組では「日本は素晴らしい国だ」と繰り返し伝えられます。
治安の良さ、食事の美味しさ、文化的な礼儀正しさなどが紹介され、まるで日本に生まれただけで誇らしく思えるような内容ばかりです。
もちろん、日本には誇るべき点がたくさんあります。
落とし物が返ってくる、トイレが清潔、電車が時間通りに来る……
そうした文化は世界的に見ても素晴らしいものだと私も思います。
ただ、それが「世界のすべて」ではありません。
たとえば、私たち日本人が当たり前のように麺を「ズルズル」と音を立てて食べる文化は、海外では不快に感じられることもあります。
また、鼻水をすすって処理する習慣も、日本人にとっては普通でも、海外では「不衛生」と見られることがあります。
つまり、「常識」は国や地域によって簡単に覆されるものなのです。
そして同じことが、情報や言葉の“正しさ”にも当てはまるのだと思います。
誰かが言っているから、テレビで取り上げられていたから、有名な人が発信していたから——
そうやって「自分の思考を停止してしまうこと」が、最も危険なのです。
第2章|信じてきた家族の言葉に、違和感を覚えた瞬間
私が“言葉を疑うこと”の大切さに本格的に気づいたのは、父親との関係からでした。
私の父は、昔からとても自己評価が高い人でした。
「自分が言うことに間違いはない」というスタンスで、私に対しても強く意見を押しつけるようなところがありました。
幼い頃の私は、親の言うことを疑う理由なんてありませんでした。
むしろ「親が言ってるんだから間違いない」と信じきっていたのです。
ですが、大人になり、社会に出てから物事がうまくいかなくなったとき——
人間関係に悩み、仕事もうまくいかず、精神的に苦しい時期が続いたとき——
ふと、これまで当たり前のように信じていた父の言葉や考え方に、違和感を覚えるようになりました。
たとえば父は、「みんなが良いと言っているから間違いない」「人気がある商品は全部いいものだ」といった価値観を持っていました。
しかし実際には、それが自分に合わなかったり、深く調べると根拠が薄かったりすることも多かったのです。
父自身も、おそらく“情報の裏側”まで見ようとはしていなかったのかもしれません。
だからこそ、その考え方をそのまま子どもである私に伝え、それを私は何の疑問も持たずに受け入れていたのでしょう。
ですが、私が失敗や挫折を経験するなかで、
「このままでいいのか?」
「そもそもこの考え方は誰のものなのか?」
と疑うようになったのです。
結果として、私は父の言葉すべてを信じるのをやめました。
そして、自分の頭で「本当に正しいと思えること」だけを取り入れるようになっていきました。
第3章|疑うことは、視野を広げる第一歩になる
「疑う」というと、少しネガティブな響きがあるかもしれません。
まるで他人を信用していない人、ひねくれた人のように思われるかもしれませんね。
でも私は、疑うことはむしろ“視野を広げる行動”だと考えています。
人は、過去の成功体験や身につけた価値観に強く縛られがちです。
「これまでこうやってうまくやってきたから、これが正しい」
「自分のやり方で間違いない」
そんな風に、自分の経験を絶対視してしまうと、他人の意見や新しい考え方が受け入れられなくなってしまいます。
私は、そういう姿勢が“危うさ”につながると感じています。
たとえば、「バカは自分の正しさを疑わない」と言われることがあります。
自分の意見ばかりを主張し、他人からの批判や助言を聞こうとしない。
それでは成長も変化も起きにくいのではないでしょうか。
一方で、自分を疑うことができる人、自分の考えにも「本当にそうかな?」と問いを投げられる人は、柔軟に他者の意見を取り入れることができます。
その姿勢こそが、成長を促し、人生の可能性を広げるきっかけになるのだと思います。
「疑う」ことは、否定ではありません。
より良くなるための“再検討”であり、“柔軟さ”なのです。
第4章|社会やビジネスにおいても「疑う視点」は武器になる
個人の人生だけでなく、社会やビジネスの世界でも「疑う視点」はとても重要です。
たとえば日本は、自動車や家電などの製造業で世界的に高い評価を得てきました。
昭和から平成にかけては、まさに“ものづくり大国”として、日本の技術力が世界に認められていた時代です。
しかし近年はどうでしょうか。
アメリカではiPhoneが生まれ、GoogleやOpenAIのような革新的なIT企業が次々と登場しています。
中国もAI・通信技術・製造などの分野で急速に発展し、経済大国としての地位を確立しつつあります。
一方の日本は、これといった次世代の産業が生まれていないようにも感じられます。
相変わらず「昔の成功モデル」にしがみつき、その構造自体を疑おうとしない企業や組織も少なくありません。
これは、個人にも当てはまります。
「今の会社にずっといれば安定だ」
「とにかく出世を目指すのが正解だ」
というような、かつての成功モデルを無条件で信じ続けていると、時代の変化に適応できなくなる可能性があります。
だからこそ、社会や経済の“当たり前”を疑うことは、生き抜くうえでの大切な武器になるのです。
変化の激しい時代において、「常識を疑う力」は、柔軟に未来を選び取る力でもあるのだと私は思っています。
第5章|「もう終わりだ」と思った時こそ、疑う力が希望になる
私は38歳のとき、「自分の人生はもう詰んだ」と本気で思ったことがあります。
それまで、目立った成功体験もなく、誇れる実績もありませんでした。
ネットを見れば、「40代で無職は終わっている」といった情報があふれています。
そんな情報を目にするたびに、将来が真っ暗に感じていました。
でも、あるとき気づいたんです。
「本当にそうなのか?」
「この“人生詰んだ”という考えは、誰が決めたことなんだろう?」と。
私は、ネットに流れている情報や“世間の評価”のようなものを、知らず知らずのうちに自分自身へ当てはめていたのだと気づきました。
その瞬間から、「今の状況=終わり」ではないと疑うようになりました。
疑ったからこそ、情報を鵜呑みにするのをやめ、自分の人生をもう一度見直すことができたのです。
そして、「人生は今からでも変えられる」と信じて行動を始めました。
その一歩一歩の中で、自分なりの希望や目標が少しずつ見えてきたのです。
「疑う」という行動は、ネガティブなものではありません。
それは、固定化された考え方を壊し、そこから可能性を再構築する前向きな行動です。
第6章|「信じる前に疑うこと」が、あなたの未来を変える
私たちは日々、さまざまな言葉や情報に囲まれて生きています。
それが誰かの意見であれ、テレビやネットのニュースであれ、親や先生の教えであれ、どこかで「きっと正しい」と思って受け入れているものが多いのではないでしょうか。
でも、その言葉――本当に信じて大丈夫ですか?
この問いを一度、自分に向けてみてほしいのです。
誰かの言葉を疑うことは、決して失礼なことではありません。
むしろ、自分の頭で考えるために必要な行為だと私は考えています。
親の言葉、社会の常識、ネットで目にする情報。
それらすべてを「正しい」と決めつけて受け入れてしまうと、自分の視野を狭めてしまいます。
逆に「これは本当だろうか?」「なぜそう言われているのか?」と一歩引いて考えることで、新しい視点が生まれます。
そして、その視点こそが、あなた自身の可能性を広げ、人生を変えるヒントになるのです。
過去の失敗、他人の評価、世間の価値観に振り回されるのではなく、
“今の自分”が納得できる選択をするために、「疑う力」を持ちましょう。
信じる前に、一度疑ってみる。
その小さな行動が、あなたの未来を大きく変えるかもしれません。
コメント