営業成績は全部上司のもの?独占・放置・精神論の職場から脱出した話

営業職として働いていた頃、僕はずっとモヤモヤしていました。
なぜなら、自分がどれだけ頑張っても、その成果はすべて上司の手柄になっていたからです。

担当顧客の多くは、もともと定年退職した先輩社員の引き継ぎ案件。
本来ならチームで分担するはずの顧客も、「管理職だから」と言って上司が一人で抱え込みました。
僕が新規開拓で商談にこぎつけても、最終提案には呼ばれず、上司がすべてを進めてしまう。
当然、営業成績は上司の数字としてカウントされ、僕には何も残らない。

仕事のやり方を教わることもなく、渡されるのは資料づくりや雑務ばかり。
スケジュールは勝手に組まれ、自分の予定は無視。
歩合制で給料が決まる仕組みの中で、「成果を出せ」と言われても、何のチャンスも与えられませんでした。

さらに追い打ちをかけたのは、80代の社長。
「最近の若い奴は甘い」「俺が若い頃は根性で乗り切った」
そんな精神論ばかりで、現場の声には一切耳を貸さない。
社長と上司、両方に振り回される日々の中で、僕は少しずつ、自分がすり減っていくのを感じていました。

そしてある日、僕は限界を迎えます——
退職の挨拶すらせず、会社を飛び出し、辞めることを手紙で伝えたあの出来事。
本記事では、僕が「辞める決断」をするまでのリアルな過程と、その後に得た新しい気づきについてお話しします。

第1章|“成果は全部上司のもの”だった日々

僕が働いていた営業職の現場には、明確な理不尽が存在していました。
それは、「どれだけ頑張っても、成果は全部上司のものになる」という仕組みです。

ある日、定年退職した先輩営業マンの顧客引き継ぎが発生しました。
本来であれば、チームで分担して引き継ぎを行うのが一般的ですが、現実は違いました。
その上司がすべての“おいしい顧客”を独占したのです。

理由はこうでした。
「俺は管理職だから」「過去に付き合いがあったから」
その一言で、優良顧客のほとんどが上司の担当に固定され、僕には見込みの薄い案件か、過去にトラブルがあったクレーム対応しか回ってきませんでした。

しかも、上司は仕事を教えてくれるわけでもなく、放任状態。
僕が提案書を用意しても、「そんなのいらん」と一蹴し、結局は自分のやり方で勝手に進めてしまう。
当然、受注できた案件はすべて上司の成果となり、僕の成績には一切カウントされません。

営業は歩合制だったので、これは死活問題でした。
頑張っても給料には反映されず、ただ消耗していくだけの毎日。
その一方で、上司の月間売上は好調と評価され、周囲からも「さすがですね」などと持ち上げられる姿を、僕は黙って見ているしかなかったのです。

さらに理不尽なのは、与えられる仕事の内容でした。
営業として雇われているはずなのに、任されるのはコピー取りや資料のファイリング、営業車の洗車、来客対応などの雑務ばかり。
まるで新人社員どころか、雑用係のような扱いです。

僕は日々、自分の存在意義を見失っていきました。
「営業職とは何なのか」「このままここにいて意味があるのか」
そんな疑問が、心の中で徐々に大きくなっていったのです。

第2章|社長は口出しだけ、時代錯誤の精神論

僕が勤めていた会社の社長は、80代の高齢者でした。
会社の創業者でもあり、昔はバリバリに営業していたそうですが、今は現場を知らず、感覚も完全に時代遅れ。
にもかかわらず、口出しだけはしてくる、いわゆる“老害”タイプの経営者でした。

たとえば、ちょっと売上が落ちたとき。
現場では物価高や客先の予算縮小など、明確な理由があるのに、社長の口から出るのは決まってこうです。
「お前らの気合が足りん」
「俺が若いころは根性で何とかした」
「最近の若い奴はすぐ弱音を吐く」

僕らが求めていたのは、精神論ではなく“具体的な対策”や“方針の明示”でした。
でも、社長は過去の成功体験を振りかざすだけで、現場の実情には一切目を向けません。

さらに悪いことに、この社長はすべての最終決定権を握っていました。
どんなにチームで議論を重ねても、最後は社長の「気分」でひっくり返される。
しかもその判断基準はあいまいで、時には前日と言っていることが180度変わることすらありました。

現場の提案が通ることはほとんどなく、何かを変えようとすれば、「余計なことをするな」と一蹴される。
当然、社員たちはどんどん黙るようになり、会議はただの報告の場へと変わっていきました。

上司が成果を独占し、社長が現場を無視して自己満足の経営を続ける。
この会社には、努力しても報われる見込みはない。
そう感じたとき、僕の心は限界に近づいていました。

第3章|ついに迎えた限界の日、そして退職

その日は突然やってきました。
営業職として働いていた僕に、ある日、事務手続きの仕事が割り振られたのです。
慣れない業務でしたが、ミスがあってはいけないと思い、できる限り丁寧に取り組みました。
ところが、そのやり方が上司や社長の意向と違っていたようで、僕は社長からこう言われました。

「こんなこともできないなら、もう辞めてしまえ」

頭の中が真っ白になりました。
なぜなら、それまで誰からもやり方を教わったことはなく、相談する余地も与えられていなかったからです。
それなのに、“できない=価値がない”と決めつけるような言葉を、トップ自ら突きつけてきた。

その瞬間、僕の中で何かが完全に切れました。

もう、ここには居たくない。
この人たちのために、これ以上自分を削りたくない。
そう思った僕は、その日のうちに会社を出て、二度と戻りませんでした。

退職の挨拶もしませんでした。
誰とも顔を合わせたくなかったし、社長の顔など二度と見たくなかったからです。
数日後、自分の気持ちをまとめた手紙と退職届を封筒に入れ、会社宛に郵送しました。

“退職”という選択肢は、正直言えば怖かった。
次の仕事も決まっていなかったし、生活への不安もあった。
でも、それでも「このまま心が壊れてしまうくらいなら、何も決まっていなくてもいい」
そう思えるほどに、自分は追い詰められていたのだと、今ならよくわかります。

この決断が、僕にとっての“再出発の第一歩”になりました。

第4章|辞めて見えた“まともな職場”のありがたさ

会社を辞めた直後、僕はしばらく何も手につかず、ただぼんやりと過ごしていました。
「本当にこれでよかったのか?」
「甘かったんじゃないか?」
そんな不安が頭をよぎりながらも、どこかでホッとしている自分もいました。

何よりも驚いたのは、朝起きたときに胸の重たさが消えていたこと。
「あの上司の顔を見なくていい」
「理不尽な社長の言葉を聞かなくていい」
ただそれだけで、心と体が少しずつ軽くなっていくのを感じました。

その後、少し休んでから転職活動を始め、今は小さな会社で働いています。
社員数は少ないですが、お互いを尊重し合う雰囲気があって、職場の空気はまるで別世界のようでした。

意見を出せば「ありがとう」と言ってもらえる。
ミスをしても責められるのではなく、「次にどう活かそうか」を一緒に考えてくれる。
上司は部下を引き立てようとし、社長は現場の声に耳を傾けてくれる。

前職では「当たり前」とは程遠かったことが、今の職場では“当たり前”として存在している。
それに気づいたとき、僕はようやく心からこう思えました。

「あのとき辞めて、本当によかった」と。

理不尽に耐え続けていた頃の僕は、「どこも同じだろう」「辞めてもどうせ変わらない」と諦めていた。
でも、それはただ“まともな職場”を知らなかっただけだったのです。

まとめ|あなたが限界を感じたとき、伝えたいこと

「上司と合わない」
「会社の価値観が自分とまったく合わない」
「もう限界かもしれない」

そんなふうに感じているあなたへ、僕は声を大にして伝えたいことがあります。

まず、苦しいのは“あなたの努力が足りないから”ではありません。
むしろ、頑張っているからこそ、無理をしているからこそ、苦しさを感じるのです。

僕もかつて、理不尽な上司や時代錯誤の社長に囲まれながら、「自分が我慢すればいい」「ここで結果を出せば変わる」と自分を納得させていました。
でも現実は、我慢しても、努力しても、環境が変わることはありませんでした。

そんな中で出した“辞める”という選択は、決して逃げではありません。
それは、自分の人生を守るための、立派な一歩です。

職場は選べます。
人間関係も、働き方も、自分に合う環境は必ずどこかにあります。
「今の場所がすべてじゃない」ということに、僕は辞めてからようやく気づきました。

もしあなたが今、心や体をすり減らしながら働いているのなら、どうか無理をしないでください。
限界に達してからでは、手遅れになることもあります。

だからこそ、今のあなたに伝えたい。
「辞めてもいい」
「もっと自分を大切にしていい」
そう、自分自身に許可を出してあげてください。

あなたの人生を変えられるのは、あなただけです。

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