収入ゼロ・保証なし。それでもフリーランスを選んだ40代のリアルな体験談
「フリーランスって自由そうでいいよね」
そんな言葉をよく耳にしますが、実際にやってみると、
自由と引き換えにやってくるのは“強烈な不安”です。
会社を辞めてフリーランスになった僕も、最初に感じたのは解放感ではなく、
収入がゼロになることへの恐怖と、何の保証もない現実でした。
仕事の依頼は来ない、収入は発生しない、
それでも日々の生活費はかかっていく——
通帳の残高が減っていくたびに、「このままじゃ本当に終わるかもしれない」と、
押しつぶされそうな不安を何度も味わいました。
それでも僕は、もう一度“自分の人生”を生き直したいと思って、
あえて不安定なフリーランスの道を選びました。
この記事では、40代で会社を辞めた僕が、
収入ゼロ・保証なしの状況からどう行動してきたのか、
そして、なぜそれでもフリーランスという選択を後悔していないのかを、
リアルな体験をもとにお伝えします。
第1章:フリーランスの現実——収入ゼロが突きつける恐怖

会社を辞めてフリーランスとしての生活を始めた僕は、
自由と引き換えに、すぐに現実の厳しさを突きつけられました。
まず最初に直面したのは、収入が一切ないという現実です。
仕事の依頼は当然ありません。誰からも連絡は来ないし、
「今日やること」が決まっているわけでもない。
その間にも、生活費は当然ながら発生します。
食費、ガソリン代、通信費…。
何もしなくても、通帳の残高だけが静かに減っていく。
このとき感じたのは、お金が減る恐怖=生きる不安そのものでした。
会社員だった頃は、どれだけ疲れていても、どれだけ理不尽なことがあっても、
給料日は必ずやってきた。
「毎月決まった日に振り込まれるお金」に、僕は守られていたんだと気づきました。
でも今は違う。
自分が動かなければ、1円も入ってこない。
努力しても、結果が出るかどうかはわからない。
すべてが“自己責任”という名のプレッシャーとしてのしかかってきます。
「このままお金が尽きたらどうなるんだろう」
「自分には、もう社会的価値がないんじゃないか」
そんな不安が、毎日頭の中を支配するようになっていました。
第2章:それでも僕がフリーランスを選んだ理由

ここまで読んで、「そんなに不安定なら、なぜフリーランスを選んだの?」と思った方もいるかもしれません。
正直、僕自身も何度もそう思いました。
でも、あのときの僕にはもう会社に戻るという選択肢がなかったんです。
会社員として働いていた頃、
理不尽な命令や空気を読むばかりの職場環境に、僕の心はすり減っていました。
「これはおかしい」と思っても、何も言えない。
いや、言ったとしても聞き入れられることはない。
上司や経営者の顔色をうかがいながら過ごす日々は、
まるで「自分の人生を他人に預けている」ようでした。
そんな生活に限界を感じて、40歳で僕は会社を辞めました。
ただ、事前にフリーランスの準備をしていたわけではなく、
勢いと直感に近い形で退職を決めたのが正直なところです。
でも、僕にはどうしても叶えたい思いがありました。
それが、「自分の力で稼いで生きていきたい」という願いです。
誰かの指示を待たずに、
自分で考え、自分で動いて、自分の力でお金を生み出す。
その働き方こそが、僕が本当に求めていた「自由」でした。
不安はもちろんありました。
でも、「あの会社に戻りたくない」「もうあんな毎日には戻らない」
という思いの方が強かったんです。
だからこそ、多少のリスクを背負ってでも、自分で選んだ人生を生きてみたかった。
それが、僕がフリーランスを選んだ本当の理由です。
第3章:不安を和らげたのは、毎日の“行動”だった

会社を辞めてフリーランスとしての生活を始めた当初、
僕の心の中は常に「不安」でいっぱいでした。
「このままじゃ生活できなくなるかもしれない」
「何か行動しないと、時間だけが無駄に過ぎていく」
そんな焦りが常に頭の中を巡っていました。
ただ、あるときふと気づいたんです。
不安って、“何もしていない時間”に一番大きくなるんじゃないか?
じっとしていると、頭の中にネガティブな考えばかりが浮かんでくる。
だから僕は、考える前に**“手を動かす”こと**に集中することにしました。
最初に取り組んだのが、noteでの情報発信です。
自分の過去の経験や感じたことを、文章にして投稿していきました。
決めたルールは、「毎日5記事投稿すること」。
最初はとにかく手探りで、文章の構成もクオリティも自信がありませんでした。
でも、「続けること」だけは絶対にやめないと決めていたんです。
さらに、noteに投稿した記事はSNS(X/旧Twitter)でもシェア。
誰かに届くかもしれない、誰かが共感してくれるかもしれない。
そんな小さな希望を持って、毎日更新を続けました。
少しずつ、読者から「スキ」やフォローの反応が届くようになりました。
正直、それが本当に嬉しかったんです。
たったひとつのリアクションが、
「誰かが自分の言葉を読んでくれた」という証拠になる。
その小さなつながりが、僕の不安を少しずつ押しのけてくれました。
結果が出るのを待つのではなく、
とにかく行動する。
その積み重ねが、自分の気持ちを前向きに変えてくれたのです。
第4章:兄の背中から学んだ“逃げ道を断つ強さ”

僕には、弁護士をしている兄がいます。
学生時代からとにかく真面目で努力家。
東京の大学に進学し、何年もの勉強の末、司法試験に合格しました。
その話だけ聞けば、「優秀な兄を持って大変だったでしょう」と言われそうですが、
実は、兄の努力の裏には相当なプレッシャーとリスクが隠れていたことを、大人になってから知りました。
兄の学費はすべて借金でまかなわれていました。
しかもその借金には、父親の実家が担保として差し出されていたのです。
兄はよくこう言っていました。
「試験に落ちたら、実家が無くなるかもしれない。
オレのせいで家族を路頭に迷わせることになるんだ」
そんな重すぎる責任を背負いながらも、兄は努力を止めませんでした。
そして26歳のとき、見事に司法試験に合格したのです。
その話を思い出すたび、今の自分の置かれている状況が
いかに「まだ余裕があるか」に気づかされます。
僕には、借金もないし、担保に差し出した家もない。
誰かを巻き込んでいるわけでもない。
失敗したとしても、自分が苦しむだけで済むレベルです。
そう考えると、今感じている不安やプレッシャーなんて、
まだ“逃げ道があるほうの不安”なのかもしれません。
逆に言えば、逃げ道があるうちは、本気になれないのかもしれない。
兄のように背水の陣で戦った人間は、やはり強い。
そして、結果も出す。
僕は兄の姿を通して、
「覚悟の強さ」こそが、人生を動かす力になる
ということを、強く実感しました。
第5章:不安の先に見えた“生きている実感”

会社を辞めてフリーランスになった僕は、
これまでに感じたことのない種類の不安に何度も襲われました。
「来月、生活できるだけの収入が得られるのか」
「そもそも自分に価値はあるのか」
「このまま、何も手応えを得られなかったらどうするのか」
頭では前向きになろうとしても、現実の数字と向き合うたびに
心が冷たくなるような感覚を覚える日もありました。
でも、そんな不安な日々を乗り越えて今、
僕はひとつの実感を得ています。
それは——
「自分の足で生きている」という手応えです。
会社員の頃は、どれだけ働いても、どこか“やらされている感”がありました。
与えられた仕事をこなす毎日。
理不尽な指示に従いながら、心のどこかで「これが普通なんだ」と自分に言い聞かせていた。
でも今は違います。
すべてを自分で決め、自分で動き、自分の名前で発信する。
それに対して、誰かが反応してくれる。
たとえそれが1件の「スキ」だったとしても、
「自分の言葉が、誰かに届いた」という実感がある。
この手応えこそが、僕がフリーランスになって得られた最大の財産です。
おわりに:不安と共に生きる“選択”を肯定したい
フリーランスの道は、決して楽ではありません。
保証も安定もない中で、不安は常に背中にまとわりついてきます。
でも、それでもなお僕は、この生き方を選んでよかったと心から思っています。
不安があるからこそ本気になれるし、行動が意味を持つ。
その積み重ねが、人生を自分のものにしていく力になるのだと思います。
今、あなたが不安を抱えているとしても——
それは決して「ダメな状態」ではありません。
本気で生きようとしている証拠なのです。
どうかその不安ごと、自分を信じてみてください。
その先に、きっと新しい景色が待っているはずです。