「ギャンブルをやめたいのに、やめられない」
そんな苦しみを抱えたまま、気づけば何年も同じことを繰り返していました。
仕事帰りにフラッと立ち寄ったパチンコ店。
気づけば財布の中身は空っぽ。
「今日はもうやめよう」そう思っていたはずなのに、また同じことを繰り返す。
やめたくてもやめられない——そんな自分に、ずっと嫌気がさしていました。
特に僕の場合、パチスロにのめり込んでいて、勝ったときの快感が忘れられなかったんです。
でも、負けるたびに「次こそは…」と期待し、無理にお金を工面してでも打ちに行ってしまう。
ストレスや不安、将来への不安をごまかすように、ギャンブルを続けていました。
そして気づけば、貯金はゼロ、借金だけが増え、日常生活さえも回らなくなっていました。
それでも僕は、ある「ひとつの気づき」をきっかけに、少しずつギャンブルから距離を取れるようになったんです。
この記事では、僕自身が体験したギャンブル依存の日々と、そこから抜け出すきっかけとなった“本当に大切な気づき”について、正直に書いていきます。
もし今、あなたが同じような苦しみを抱えているなら、この記事が少しでもヒントになれば嬉しいです。
第1章:気づけば、ギャンブルが日常の一部になっていた

最初は、ただの暇つぶしでした。
友人に誘われて初めて入ったパチンコ店。
派手な音や光、ジャラジャラと玉が出る感覚に、不思議と気持ちが高揚したのを今でも覚えています。
「たまたま勝った」その成功体験が、僕を次へと駆り立てました。
気づけば、一人でも通うようになり、家から歩いて5分の距離にあるパチンコ店が“居場所”になっていきました。
仕事で嫌なことがあった日、将来に不安を感じた日、誰かと言い合いになった日——
そんなとき、僕はいつもパチンコ屋にいました。
あの空間にいれば、現実から一時的に逃げられる。
負ければ悔しくて「次こそは」と考え、勝てば気持ちが晴れて、普段できない贅沢をしてしまう。
そうやって、ギャンブルが僕の生活の中心になっていったんです。
給料が入れば、まずパチンコ。
家賃や生活費よりも、先に“軍資金”のことを考えるようになっていました。
気がつけば財布は空、でもまだ打ちたい。
そんな気持ちが、ついに消費者金融に手を伸ばさせました。
あの頃の僕は、お金だけでなく「心」までギャンブルに奪われていたのかもしれません。
日常が少しずつ壊れていっているのに、それに気づけない。
なぜなら、ギャンブルが“当たり前”になっていたから。
気づいたときには、すでに深くハマっていたんです。
第2章:脳がギャンブルで支配されていく感覚

あの頃の僕の頭の中は、ほとんどギャンブルのことで埋め尽くされていました。
朝起きると、まず考えるのは「今日は打ちに行けるか」。
天気や体調なんて関係なく、パチンコ屋が開いていれば、それが“行く理由”になっていたんです。
どの台が出そうか。
前日はどれくらい回っていたか。
ホールのクセや釘の開き方まで、まるで研究者のように分析していました。
でも、その先にあるのは「自己満足」と「金銭的リスク」だけ。
得られるのは一時的な快楽だけで、何ひとつ積み上がるものはありませんでした。
それでもやめられなかったのは、脳が報酬を求めていたからです。
勝ったときの高揚感。
当たりの演出が出たときのドキドキ。
それらは、現実世界ではなかなか得られない刺激でした。
逆に、負けたときでさえ、脳は「次は勝てるかも」という希望で満たされてしまう。
もはや快感ではなく、“思考”そのものがギャンブルに染まっていたんです。
本来なら、使うべきお金、やるべき仕事、過ごすべき時間——
そのすべてが、ギャンブルという名の幻想に吸い込まれていきました。
休日はもちろん、平日でさえ打ちに行くことが優先。
誰かと会う約束も、仕事の予定も、すべて「パチンコを打つかどうか」を軸に考えるようになっていました。
気づけば、ギャンブルが僕の人生の中心になっていたんです。
そのことに気づいたときには、もう簡単には抜け出せないところまで来ていました。
第3章:社会の役に立てない自分に、焦りを感じた日

ある日の帰り道、僕はコンビニの前で立ち尽くしていました。
財布の中には数百円。
ATMの残高はほぼゼロ。
携帯には、消費者金融からの返済通知。
「……俺、何やってるんだろう」
自分でも驚くほど冷静な声で、心の中につぶやきました。
ギャンブルをしているときは、何もかも忘れられる。
負けても「次こそは」と自分に言い聞かせて、また台の前に座る。
けれどその繰り返しで、僕は何を手に入れたんだろう?
生活はどんどん苦しくなり、貯金はゼロ、借金だけが増えていく。
将来のことなんて考えられないし、人付き合いも減っていく。
ギャンブルにハマる前の自分とは、別人のようでした。
そして、この言葉が頭に浮かびました。
「ギャンブルって、社会に何の価値も生み出さない」
どれだけ時間を使っても、誰かの役に立つわけでもない。
勝っても、ただお金を移動させているだけ。
負けたら、その分失うだけ。
そこに感謝も成長も、生産性も存在しない。
その瞬間、僕は本当の意味で焦りを感じました。
「このままだと、社会から必要とされない人間になってしまう」
ただギャンブルにのめり込むだけの日々を続ければ、残るのは孤独と空虚感だけ。
このままじゃいけない。
そう思ったのが、僕にとって「回復への第一歩」になりました。
第4章:執着が消えたのは、“価値を生み出す”ことを意識したから

ギャンブルにのめり込んでいた時期、僕には「誰かのために生きている」という実感がまったくありませんでした。
お金を稼いでも、自分の欲を満たすために使うだけ。
何かを成し遂げたという達成感も、誰かに喜んでもらったという感謝の気持ちも、そこには存在しなかったんです。
そんなとき、ふと思ったんです。
「この経験を誰かに伝えることはできないだろうか?」
最初は、ただの思いつきでした。
でも、noteやブログでギャンブル依存の体験を書き始めたことで、少しずつ自分の中に変化が起きていきました。
読んでくれた人から、「気持ちがわかります」「自分も変わりたいと思えた」といったコメントをもらったとき、心の奥で何かが動いた気がしました。
「自分の経験が、誰かの役に立っている」
この実感は、ギャンブルで得られるどんな快感よりも強く、深いものでした。
そして、その瞬間から、ギャンブルへの執着心がスッと消えていったんです。
ギャンブルでは、何も生み出せない。
でも、文章を書くことは、“誰かの気持ちを動かす”という形で社会に価値を生み出せる。
たとえ小さくても、意味のある行動を積み重ねていけば、自分の存在に価値を感じられるようになります。
ギャンブルの刺激では満たされなかった心が、「人のために生きる」という感覚で、少しずつ満たされていったのです。
第5章:ギャンブルをやめたいあなたへ伝えたいこと

「やめたいのに、やめられない」
この言葉に、どれだけの人が苦しめられているでしょうか。
そして僕も、その一人でした。
ギャンブルは、たしかに一時的な快感や逃避にはなります。
でもその裏側で、確実に何かを失っています。
お金、時間、人間関係、自尊心——
それらが少しずつ削られていく感覚に、あなたも気づいているのではないでしょうか。
もし今、「やめたい」と思っているのなら、それは**あなたの中の“本音”**です。
その声を、どうか無視しないでください。
僕は、自分の体験を発信することで、やっとギャンブルから距離を置くことができました。
最初は小さな一歩でした。
でも、「誰かの役に立ちたい」という気持ちを持てたことが、ギャンブルの執着から離れるきっかけになったんです。
依存を完全に断ち切るのは簡単ではありません。
でも、“人の役に立つこと”や“価値ある時間の使い方”に目を向け始めるだけで、確実に変わっていきます。
あなたにも、必ず変われるタイミングが来る。
そしてそれは、今かもしれません。
この記事が、あなたにとってその一歩になることを願っています。
大丈夫、焦らなくていい。
少しずつでいいから、自分の人生を取り戻していきましょう。
まとめ:ギャンブル依存から抜け出し、本当に大切なものに気づけた
僕はギャンブルに依存し、人生を壊しかけました。
勝てば嬉しい、でも負ければ地獄。
それを繰り返すうちに、お金も、時間も、人間関係も、自分の誇りさえも失っていったんです。
何より苦しかったのは、**「誰の役にも立てていない」**という自覚でした。
それは、お金の問題以上に深刻な痛みでした。
でも、そんな自分でも変わることができました。
きっかけは、自分の経験を誰かのために発信すること。
小さな一歩でも、「誰かの役に立ちたい」と思えたことで、ギャンブル以外に心が向くようになったんです。
ギャンブルは確かに魅力的に感じる瞬間があります。
でも、そこに人生をかけるほどの価値があるかといえば、答えは「NO」です。
もし今、あなたが「やめたい」と思っているのなら、もうすでにその第一歩は始まっています。
変わりたいという気持ちを、大切にしてください。
僕がそうだったように、あなたにも必ず「変われる瞬間」がやってきます。
この記事が、そのヒントになれたら嬉しいです。
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