親や他人の意見に従って失敗した僕が学んだ「疑う力」の重要性
「素直な人は伸びる」「人のアドバイスを聞くことが大事」
そう言われ続けてきた僕は、これまでの人生でたくさんの“正しそうな言葉”に従ってきました。
親の意見、先生の指導、先輩や上司のアドバイス、友人からの助言……。
「自分より経験豊富な人の言葉なら、間違いない」と思い、疑うことなく受け入れてきたんです。
けれど40歳を迎えた今、はっきり思うことがあります。
あのとき、自分でちゃんと考えていたら、こんなに後悔することはなかったかもしれない。
もちろん、すべてのアドバイスが悪かったわけではありません。
でも、「誰かの言葉に頼ってばかりいたこと」が、自分の人生を遠回りさせていた——そう感じる出来事が、これまでに何度もありました。
この記事では、そんな僕の経験をもとに、
「人の意見をそのまま信じてしまうことの危うさ」と、「疑う力」の重要性についてお伝えします。
【第1章】人の意見を信じることが当たり前だった僕の価値観

僕は子どもの頃から、「親の言うことは聞きなさい」「先生の言うことは正しい」と教えられて育ちました。
周囲に合わせて行動すること、年上の人や経験者の言葉を素直に受け入れることが“良いこと”だとされる環境の中で育った僕にとって、「人の意見を疑う」という発想はありませんでした。
むしろ、疑うことは失礼だとか、生意気だと思われるのが怖かったんです。
だから僕は、誰かにアドバイスをもらったとき、
「この人が言うなら間違いないだろう」
「とりあえず、その通りにやってみよう」
と、深く考えることなく従っていました。
社会に出てからもその傾向は変わらず、先輩や上司の言葉を“正解”として受け止め、指示された通りに動くことが最善だと思っていたんです。
たとえば就職先の選び方もそうでした。
「安定しているから」「潰れない会社だから」という理由で薦められた企業に、迷いなく就職。
自分の興味や得意なことよりも、周囲の“安心感”を優先してしまいました。
結果、自分に合わない職場で苦しみながらも、「これが社会ってものだろう」と思い込み、何年も耐え続けてしまったのです。
【第2章】人生の大きな選択を他人任せにして失敗した話

人生にはいくつか、大きな分岐点があります。
進学、就職、転職、結婚、独立……。その一つひとつの場面で、僕は“自分で考えて決めた”という実感が、ほとんどありませんでした。
たとえば高校卒業後の進路。
本当は東京の専門学校に進んで、やりたいことに挑戦したい気持ちがありました。けれど、親から「地元の大学のほうが安心だよ」「一人暮らしはお金がかかるから」と言われ、特に反論もせず、その通りに進学先を決めました。
就職活動のときも、「今の時代は手に職が大事」「この業界は安定してる」と周囲に言われた言葉を鵜呑みにして、興味の持てない業界に就職。
入社後すぐに違和感を覚えたものの、「自分が甘いだけだ」と思い込み、気づけば何年も不満を抱えたまま働き続けていました。
転職も同じです。
知人に「この会社ならお前に合ってるよ」と紹介され、あまり深く考えずにその会社に入社。
けれど入ってみると、仕事内容も社風もまったく合わず、ストレスで心身のバランスを崩してしまいました。
こうした経験を重ねる中で、僕はようやく気づいたのです。
「人の意見を聞いて行動しても、うまくいかなかったときに責任を取ってくれる人はいない」ということに。
どんなに信頼している人の言葉であっても、それは“参考意見”であって、“正解”ではない。
そして何より、どんな選択も最後に責任を持つのは、自分自身なんだと痛感しました。
【第3章】信頼していた人の言葉も“正解”ではなかった

僕が最も信じていたのは、やっぱり親の言葉でした。
「息子のためを思って言ってくれている」
「人生経験があるから、間違いはないだろう」
そう思って、親のアドバイスにはほとんど逆らわずに従ってきました。
たとえば、
「安定している仕事が一番だよ」
「地元で就職したほうが安心できる」
「結婚は早い方がいいぞ」
そんな言葉をそのまま受け止め、自分の本心や希望を後回しにしてきたんです。
でも、ある時ふと気づきました。
「親の価値観は、親の人生においての正解であって、自分の人生の正解とは限らない」という当たり前の事実に。
親が生きてきた時代と今の時代は違うし、親と僕とでは性格も考え方もまったく違う。
そんな相手からの“善意のアドバイス”が、必ずしも僕の人生にフィットするとは限らなかったのです。
もちろん、悪気があったわけではありません。
むしろ心から僕の幸せを願って、できる限りのことを教えてくれていたと思います。
でも結果として、そのアドバイスに従ったことで、僕は苦しみ、悩み、自信を失っていきました。
同じように、職場の先輩や人生経験が豊富に見える人の言葉も、冷静に振り返ると「その人にとっては正しい意見」だっただけで、僕には当てはまらないことが多々ありました。
そしてもう一つ大切なことに気づきました。
アドバイスをくれた人たちは、僕の人生の結果に責任を取ってくれないということです。
失敗したからといって、助けてくれるわけでも、補償してくれるわけでもない。
自分が選んだ道でつまずいたなら、傷つくのも、立ち上がるのも自分しかいないんです。
【第4章】疑うことは信頼を壊すことじゃない

「疑う」という言葉には、どこかネガティブな印象があるかもしれません。
誰かの言葉を疑うなんて、失礼だとか、冷たい人間だと思われるのではないか——
以前の僕も、そう考えていました。
だからこそ、親や信頼している人から何かを言われると、疑うことに罪悪感を覚えていたんです。
でも今は、まったく違う考えを持つようになりました。
疑うことは、相手を否定することではありません。
それは、「本当にそれは自分にとって正しいのか?」と自分自身に問いかける作業なんです。
たとえば、
「この仕事は安定しているからおすすめだよ」と言われたとき、
「ありがとう。でも、自分にとって本当にやりたい仕事って何だろう?」と考えること。
これは決して相手を疑っているのではなく、自分の人生に責任を持つ姿勢です。
むしろ、何も考えずに相手の言葉を鵜呑みにして、あとで後悔したり、相手を責めてしまったりするほうが、人間関係を壊す原因になるのかもしれません。
誰かの意見を参考にするのはいいことです。
でも、「それが今の自分に合っているのか」「自分の目指す方向と一致しているのか」
一度立ち止まって考えることで、自分の軸を見失わずに済むのだと気づきました。
信頼しているからこそ、冷静にその言葉の意味を見極める力が必要なんだと思います。
【まとめ】信じるだけじゃ足りない。自分で考える力が人生を変える
僕はこれまで、たくさんのアドバイスに従って生きてきました。
親の言葉、上司の助言、友人の意見——どれも、信頼していたからこそ素直に受け入れてきたつもりでした。
でも、信じることだけでは人生はうまくいかない。
本当に大切なのは、「その言葉が自分にとって正しいか」を考えることだった。
他人の意見は、その人の経験や価値観から生まれたものです。
それがあなたの人生にも当てはまるとは限りません。
誰かが言った“正解”をそのまま信じるのではなく、いったん疑って、自分の頭で考えてみる。
その“ひと手間”が、遠回りの人生を避けるための鍵になるのだと、僕は実感しています。
疑うことは、信頼を壊すことじゃない。
むしろ、自分の人生に誠実になること。
人の言葉を大切にしながらも、最終的には自分の価値観で選択する——
そんな生き方こそが、後悔しない人生につながるのではないでしょうか。
もしあなたが今、誰かの言葉に迷っているなら、ぜひ一度、自分自身に問いかけてみてください。
「それは本当に、自分の望む人生につながる言葉か?」と。