誰かの期待ばかり気にしていた人生から抜け出した40代の体験談

「このままで本当にいいのか?」
そんな疑問が心に浮かぶようになったのは、40歳を迎えた頃でした。

親の言葉、会社の空気、周囲の目——
気づけば、ずっと“誰かの期待”を軸に生きてきたことに気づいたんです。

仕事でも、私生活でも、「自分が本当はどうしたいのか」なんて考える余裕もなく、
正解のようなものを必死に探して、周りの顔色を見ながら生きる毎日。
気づけば、自分の意思や感情はどこかに置き去りにされていました。

そんなある日、心と体が限界を迎えたことで、ボクの人生は少しずつ変わり始めます。
この記事では、
「他人の期待に応え続けた人生から抜け出し、“自分の人生”を取り戻すまで」
を、ボク自身の実体験としてお伝えします。

“誰かの期待”を生きていた日々|他人軸で生きることの息苦しさ

思い返せば、ボクは子どもの頃から「人にどう思われるか」を気にしてばかりの人生を送ってきました。
親の期待に応えることが正しいと思い、
「迷惑をかけてはいけない」「きちんとしていないとダメ」
そんな価値観が、ボクの中に深く根付いていたんです。

学校でも同じでした。
周りと違うことをするのが怖くて、意見を飲み込み、
“優等生”として振る舞うことが当たり前になっていました。
自分が何をしたいのかより、「どう見られるか」の方がずっと大事だったんです。

社会人になってからも、その生き方は続きました。
上司の顔色をうかがい、同僚に変に思われないように気を遣い、
自分の意見や本音を押し殺して、組織の中で“浮かないように”過ごしていました。

周囲からは「まじめだね」「ちゃんとしてるね」と言われました。
でも、褒められるたびに、どこか冷めた自分がいました。
心の奥では、「これは自分の人生じゃない」と気づいていたのかもしれません。


誰かの期待に応えることが悪いわけではありません。
でもそればかりを続けていると、
自分が本当にやりたいこと、感じていることがわからなくなるんです。

ボクは、まさにその状態でした。
毎日はこなせる。けれど、生きている実感がない。
そんな空っぽな状態が、長いあいだ続いていたんです。

そしてある日、ついに限界が訪れます——。

心も体も限界に——人生を見直すきっかけになった“ある出来事”

転機は突然やってきました。
ある日、いつものように会社でパソコンに向かっていたとき、
ふいに涙があふれて止まらなくなったんです。

別に大きな失敗をしたわけでも、怒られたわけでもない。
ただ、心が限界を迎えていたのだと思います。
それまでずっと、他人の期待に応えるために自分を抑え続け、
無理して笑い、無理して働き、「ちゃんとした自分」を演じてきました。

でも、その日はもう誤魔化せなかった。
涙が止まらず、動悸がして、何も考えられない。
仕事にならず、トイレに駆け込んで、そのまましばらく動けませんでした。


それからというもの、日常にも異変が出始めました。
朝起きるのが辛くなり、体が重く、食欲もなくなった。
何をしていても楽しくないし、未来のことを考えると不安しかない。
「このままの人生でいいのか?」「自分は何のために生きているのか?」
そんなことばかりを考えるようになりました。

このとき、ようやく自分の中で“気づき”が生まれたんです。

「このまま、誰かの期待に応えるだけの人生で終わってしまっていいのか?」
「一度きりの人生を、自分の意思で生きたい」

これが、ボクの心からの本音でした。
そしてここから、ようやく「自分の人生」を取り戻すための小さな行動が始まっていくことになります。

ボクが実践した「自分軸を取り戻すための習慣」|小さな行動が人生を変えた

「自分の人生を生きたい」と強く願ったあの日から、
ボクは少しずつ、自分と向き合うための習慣を始めました。

とはいえ、急に大きな変化を起こすのは難しい。
だからこそ、最初は**小さな“心のトレーニング”**から始めたんです。


■ 自分の「好き」「嫌い」を書き出す

まず取り組んだのは、自分の感情に気づくことでした。
「今日は何を食べたいか」「どんな服を着たいか」「何をして過ごしたいか」
そんな小さな“自分の気持ち”を意識してノートに書き出すようにしました。

今までは、無意識のうちに他人に合わせることが当たり前だったので、
最初は本音すらうまく出てこなかったのですが、続けるうちに
「自分って本当はこんなことを望んでいたんだな」と気づけるようになったんです。


■ 小さな決断を「自分だけで」してみる

ボクはこれまで、何かを決めるときにすぐ周囲の意見を聞いていました。
誰かに相談したり、正解を検索したりすることが癖になっていたんです。

でもそれは、自分の判断力を育てないまま、他人の軸で選択してきた証拠でもありました。
そこで、小さなことでも“自分だけで決める”練習をしました。

・昼ごはんを直感で決める
・休みの日の予定を、気分で決める
・買い物の選択も、人の意見に流されずに選ぶ

自分で決めることに慣れてくると、不思議と“自信”が育っていくのを感じました。


■「NO」と言う勇気を持つ練習

今までボクは、頼まれごとを断るのがとても苦手でした。
嫌でも断れず、結果としてストレスをためこみ、自己嫌悪に陥ることもしばしば。

でも、自分軸を育てるには「断る勇気」も必要だと気づきました。
最初は、小さなことから練習しました。

・LINEの誘いを断る
・忙しいときは仕事のお願いを引き受けない
・本当は乗り気じゃない飲み会には行かない

断ったあとの罪悪感よりも、
“自分を大切にできた”という感覚のほうがずっと大きかったです。


■ 一人の時間を意識して作る

日々誰かと関わり続けていると、自分の気持ちを感じ取る余白がなくなります。
だから、意識的に「ひとりになれる静かな時間」を作るようにしました。

・静かな喫茶店でゆっくり過ごす
・夜、スマホを置いてぼーっとする
・自然の多い場所に車を走らせ、景色を眺める

この静かな時間こそが、
“誰かの声”ではなく、“自分の内側の声”と向き合える大切な時間になりました。


こうして少しずつ、毎日の小さな選択に「自分の意志」を取り戻していくうちに、
ボクは次第に、自分の人生を自分で歩んでいるという実感を得られるようになったのです。

自分の人生を生きている——そう実感できた瞬間

ある休日、行き先も決めずに車を走らせていたときのことでした。
お気に入りの音楽を流しながら、気ままに道を選び、ただ風景を眺めて走る——
そんな何気ない時間の中で、ふと胸の奥から湧き上がってきた感覚がありました。

「ああ、今、自分の意志で生きているな」

誰かに頼まれたわけでもなく、誰かの期待に応えるためでもない。
“自分がやりたいからやっている”という、ただそれだけのこと。
でもその自由さが、ボクにとってはこれまでにない幸福感でした。


今までは、誰かの都合に合わせることばかりだった。
選択の基準はいつも「周囲にどう思われるか」で、
自分がどうしたいのかなんて、考えたこともありませんでした。

けれど、自分の気持ちに正直になって、
少しずつ小さな選択を“自分で”するようになってから、
日々の中に小さな喜びや満足感が生まれてきたんです。


もちろん、今でも迷うことや不安になることはあります。
「これでいいのかな」と思う瞬間は、誰にでもあるでしょう。
でも、あの頃のように「他人の期待に縛られて苦しくなること」は、もうありません。

ボクは今、ようやく自分の人生を“自分の足”で歩いていると感じられています。
それは大げさではなく、「生きていてよかった」と思えるようになった理由の一つです。

まとめ|自分の人生を取り戻すために、大切だったのは“日々の小さな選択”だった

他人の期待に応えることは、時に優しさであり、思いやりでもあります。
でも、それが「自分を犠牲にすること」につながってしまったら、
どこかで心や体に限界が訪れてしまうのかもしれません。

ボクは長いあいだ、
「いい人でいなきゃ」「周りに合わせなきゃ」
そんな思い込みに縛られながら生きてきました。
そしてある日、心も体も動かなくなって、ようやく気づいたんです。
これはもう、自分の人生じゃない——と。

そこから始めたのは、ほんの小さな習慣の積み重ねでした。
自分の「好き」「嫌い」に気づくこと。
自分の意志で決断すること。
ひとりの時間を大切にすること。
そして、無理なお願いにはNOと言うこと。

そういった日々の行動が、少しずつ“自分の軸”を育ててくれました。


人生を大きく変えるには、特別なことをする必要はありません。
大切なのは、毎日の中に「自分の気持ち」を取り戻していくこと
他人の目ではなく、自分の感覚を信じて選んでいくこと。

もし今、あなたが「自分を見失っている」と感じているなら、
どうか焦らず、ひとつだけでいいので、
“自分のための選択”をしてみてください。

その一歩が、きっと未来を変えていく力になります。

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