「突然の別れ」大切な人を亡くしてから僕の人生は変わった
突然、大切な人がいなくなってしまう——。
それは、ある日突然、私たちの人生を根底から変えてしまう出来事です。
「まさか、あの人がいなくなるなんて」
「もっとあのとき、こうしていれば…」
そんな後悔や喪失感に、心が押し潰されそうになることもあるでしょう。
この記事では、僕が16歳のときに経験した「親戚の突然の死」を通して、
命の重さ、大切な人の存在、そして残された人がどう生きるかについて、自分なりに向き合ってきた記録を綴っています。
これは僕個人の体験であり、正解を伝える記事ではありません。
ですが、今まさに大切な人を亡くしたばかりの方や、誰かの死と向き合っている方にとって、
「一人じゃない」と思えるきっかけになれば、そんな願いを込めて書きました。
どうか無理せず、あなたのペースで読み進めていただけたら嬉しいです。
突然訪れた別れ——僕と親戚Aさんの関係

僕には、幼いころから姉のように慕っていた親戚の女性がいました。
家族ぐるみで仲が良く、旅行や食事にも一緒に出かけるような関係で、実の兄と同じくらい、いや、それ以上に心を許せる存在だったかもしれません。
彼女は僕より8歳年上。優しくて明るくて、いつも僕の話に耳を傾けてくれる人でした。
僕が人見知りだった子ども時代、彼女は自然体で接してくれて、僕の心をほぐしてくれるような、そんな温かい空気を持った人だったんです。
そんな彼女が、中学1年のときに突然「右肩が痛い」と訴えるようになりました。
最初は部活(ソフトボール)による筋肉痛かと思われていましたが、痛みは日を追うごとにひどくなっていったといいます。
家族は心配して、いくつかの病院を回った末、ついに「右肩の骨に癌がある」と診断されました。
当時の僕はまだ子どもで、「癌=命に関わる病気」ということは何となく知っていたものの、それがどれほど深刻なことなのかを本当には理解していませんでした。
「手術をすれば治る」「まだ若いんだから大丈夫」——そんな希望的観測にすがっていたのかもしれません。
実際、彼女は命を守るために、右腕の神経を切除するという大きな手術を受けました。
その結果、右腕は動かなくなったものの、命をつなぎとめることはできた——
当時はそう思っていました。
しかし現実は、そう甘くはありませんでした。
癌はすでに肺を含め全身へと転移しており、手術ではどうすることもできない状態だったのです。
けれどその事実を、僕は知りませんでした。
家族は、「子どもにはまだ伝えられない」と判断し、彼女の容体が深刻であることを僕には伏せていたからです。
だから僕は、何の心構えもなく、「突然の別れ」を迎えることになります。
最期の瞬間と、受け止めきれなかった現実

高校1年の夏、突然親の携帯電話が鳴りました。
「Aさんが危篤らしい」
その一言で、家の空気が一変しました。
言葉の意味がすぐには飲み込めませんでした。
あの明るく元気だったAさんが、危篤?
混乱しながらも、家族と一緒に病院へと急ぎました。
病室に入ると、そこには僕の知っている彼女とは全く違う姿がありました。
意識はなく、人工呼吸器に支えられながらわずかに胸が上下しているだけ。
無機質な音を響かせる医療機器の中で、彼女の命は静かに、でも確実に終わりに近づいていました。
「どうして、こんなことに…?」
頭では理解できても、心がそれを認めようとしません。
ただただ、信じたくない気持ちでいっぱいでした。
その日のうちに、Aさんは息を引き取りました。
ほんの一瞬、目に光が戻ったようにも見えましたが、それが“さよなら”の合図だったのかもしれません。
僕にとっては、まるで実の姉のような存在だった人。
その最期を、何も知らされずに突然迎えてしまったことが、当時の僕にはあまりに重すぎました。
受け止められない——それが正直な気持ちでした。
そして、現実はさらに容赦なく続いていきます。
亡くなったその日から、すぐに葬儀の準備が始まるのです。
病院から自宅へ戻ったAさんは、布団の中にドライアイスを敷かれ、静かに横たわっていました。
それを見つめながらも、心はどこか現実感を拒否していました。
そこへ訪れた葬儀会社の担当者は、淡々とこう話しました。
「葬儀のご希望はありますか? 一般的には300万円程度からのご案内になります」
丁寧ではありましたが、あまりに現実的な金額の話に、僕は強烈な違和感を覚えました。
もちろん、葬儀会社の人に悪意があったわけではありません。
仕事として、必要なことを進めているだけです。
けれど、「大切な人が亡くなった直後」に、金額の話が交わされるという事実が、当時の僕には衝撃的でした。
その後、火葬場でAさんの身体が炎に包まれる瞬間——
泣き崩れる彼女の家族の姿は、今でも鮮明に焼き付いています。
「まだ温かいのに!」と叫ぶ声。
職員の手を振り払ってでも遺体に抱き着く家族。
現実を突きつけられた僕は、ただその場に立ち尽くすことしかできませんでした。
火葬を終え、戻ってきたのは骨だけ。
もう、声も、笑顔も、ぬくもりも、すべてが触れられない存在になってしまったのです。
命とどう向き合うか——僕なりの答え

Aさんが亡くなったあの日から、僕の中にはぽっかりと大きな穴が空いたままでした。
大切な人の死を目の前にして、僕の心は完全に止まってしまったようでした。
毎日がどこか空虚で、何をしていても心がここにないような感覚。
そんな状態がしばらく続いていました。
でもある時から、ふと自分に問いかけるようになったんです。
「Aさんの死は、僕に何を残してくれたのだろう?」
もちろん、命の死に「意味」を無理に見出す必要はありません。
ただ、彼女が生きた証を無駄にしたくない。
残された僕が、彼女から受け取ったものを心に刻んで生きていきたい。
そう強く思うようになりました。
そして、少しずつ気づいていきました。
それまでの僕は、「命があるのが当たり前」「人と過ごす時間はずっと続く」と思って生きていたことに。
でも現実は、人の命はいつか必ず終わるし、今日が最後になるかもしれない。
だからこそ、今この瞬間をどう生きるか、誰とどう向き合うかが本当に大切なんだと気づいたんです。
・「ありがとう」と思ったら、迷わず伝える
・「会いたい人」には、できるだけ早く会う
・「ごめんね」は、言いそびれず、素直に口にする
そういう、シンプルだけど大切なことを、Aさんの死は僕に教えてくれました。
命は永遠じゃないからこそ、今の関係性を丁寧に育てていきたい。
誰かに何かを残せる人間でありたい。
そう思いながら、僕は少しずつ前に進めるようになったのです。
読者のあなたへ——命と真剣に向き合ってほしい

もしかしたら、この記事を読んでいるあなたも、
大切な人の死に直面した経験があるかもしれません。
あるいは、まだその痛みに触れていないけれど、どこかで「命のこと」を考えている方かもしれません。
どちらであっても、僕はあなたに伝えたいことがあります。
「悲しみの形に、正解も不正解もない」ということです。
人の死というのは、それぞれの人生にとってあまりにも大きな出来事です。
そしてその悲しみは、他人には決して完全に理解できない、唯一無二の感情でもあります。
だから、無理に乗り越えようとしなくてもいい。
泣いてもいいし、立ち止まってもいい。
「忘れられない」ことは、何も悪いことではありません。
でも、もしも心に少しだけ余裕が生まれたとき、
どうか思い出してほしいんです。
亡くなった大切な人が、
「あなたには幸せでいてほしい」と願っていたかもしれないことを。
僕は思うんです。
残された者が、人生をあきらめてしまったり、悲しみの中で心を閉ざしたままになってしまうのは、
きっと大切な人が一番望んでいない未来じゃないかと。
だからこそ、残された僕たちは「生き方を選べる立場にある」ということを、忘れずにいたいと思っています。
Aさんの死を経験した僕がたどり着いた答えは、
「命と真剣に向き合いながら、今を大切に生きること」でした。
もしあなたが今、誰かを大切に想う気持ちを持っているなら——
その気持ちを、どうか言葉にして、行動に移してみてください。
今日という日が、あなたの人生のなかで、少しだけ“意味のある一日”になれば。
そして、この記事がそのきっかけになれば、これ以上のことはありません。
まとめ:突然の別れが教えてくれた、命の重さと今を生きる意味
大切な人との別れは、誰にとっても避けられない現実です。
けれど、それが“突然”やってくるとき、私たちは何の準備もないまま、深い悲しみの中に放り込まれてしまいます。
僕が16歳のときに経験した、親戚Aさんの死もそうでした。
予告もなく、前触れもなく、ある日突然やってきたその別れは、僕の人生に大きな影響を与えました。
ただ、その経験を通して知ったことがあります。
それは——
「命は永遠じゃない。だからこそ、今をどう生きるかが大切だ」ということ。
大切な人の死は、何かを奪うだけではありません。
「どう生きるか」という問いを、私たちに強く投げかけてくれます。
悲しみにくれてもいい。
立ち止まっても、涙が止まらなくても、それでいい。
でも、少しずつでも、自分のペースで前に進めるようになれたなら——
その一歩一歩が、亡くなった人への感謝と祈りにつながると僕は思っています。
この記事をここまで読んでくださったあなたに、心から感謝します。
どうか、今日という日を丁寧に生きてください。
そして、あなたの大切な人にも、想いをちゃんと届けてください。
命は限りあるもの。
だからこそ、今ここにいること自体が、奇跡のように尊いのだと、僕は信じています。